Live Fast, Die Young. ジャン=ミシェル・バスキアというイコン
- 中山 要
- 2016年7月1日
- 読了時間: 2分

ジャン=ミシェル・バスキアは、僕が二十歳のときに逝った。もちろんオーバードーズ。27歳での死去。7つしか違わなかったんだな。彼のアートに感化されたのは、ダメなものもそのまま、または子供のようにグチャグチャに上描きしたりする。文字を入れてみて、よくなければ消去線を描く。それでいて、どことなくスタイリッシュでセンスのよさを感じさせる。レジェンドは、生き急ぎ、早く死ぬ。まあ、ジャンキーだったといえばそれまでだけど。
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ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 - 1988年8月12日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。苗字の発音はフランス語の名前なので本来は語尾の t は発音されないが、地元のニューヨークではそのまま英語発音でバスキアットと呼ばれることがある。ハイチ系アメリカ人。
プエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をするように母親から奨励されていた。17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。
活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。
一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。1983年にはアンディ・ウォーホルと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホルの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥り、妄想癖が見られるようになった。そしてウォーホルの死によりさらに孤独を深めると共に、ますますヘロインに溺れていった。
1988年、ヘロインのオーバードーズにより27歳で死去。(出典元:Wikipedia)
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