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プロパガンダの構成主義、ロシア・アヴァンギャルドは、お好き?

  • 中山 要
  • 2016年6月24日
  • 読了時間: 3分

ロシア・アヴァンギャルドっていうと、たぶん知らない人のほうが多いと思うけれど、ロシア帝国からソビエト連邦のスターリン独裁くらいでの芸術運動で、多岐にわたる芸術活動をしていた。特にグラフィックデザインは現在でも斬新。僕が好きなのは、エル・リシツキー、アレクサンドル・ロトチェンコ、そして、詩人でもあったウラジーミル・マヤコフスキー。マヤコフスキーは、情緒不安定で自殺したとされてるけど。

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勃興期

第一次世界大戦前の初期においてはキュビスム(1907年)、未来派(1909年)、ネオ・プリミティヴィズム(英語版)(1913年)など、同時代のモダニズム運動との共通性が顕著であった。1909年にミハイル・ラリオーノフがダイヤのジャック(1909年 - 1911年)、1912年にロバの尻尾(1912年 - 1913年)を結成。1913年の展覧会「標的展」における立体未来主義まではロシア・アヴァンギャルド以前に分類する考え方もある。

立体未来主義はザーウミ(ロシア語版、英語版)と呼ばれる詩人が個人的に創作した言語によって詩などを創作した。ヴェリミール・フレーブニコフ、アレクセイ・クルチョーヌィフ(ロシア語版、英語版)、カジミール・マレーヴィチなどがいる。

第一次世界大戦中に、次第にカジミール・マレーヴィチに代表されるシュプレマティスム(1915年)が台頭、ロシア特有の芸術運動となる。

最盛期

1917年のロシア革命後は表現上の革新と政治革命が相互作用。干渉戦争=戦時共産主義期間には純粋芸術においてのみならず、プロパガンダ・アートの分野(ビラ、ポスター、宣伝列車等)で利用された。1918年にはスヴォマス(英語版)(Свомас)が設立される。ウラジーミル・タトリン等に代表されるロシア構成主義(1919年)が台頭。

1920年代にはレーニンが主張していたネップ(一部市場経済化容認)期においては芸術と生活そして社会主義的な産業化のトリアーデの一致をめざす様々な分野(建築、プロダクトデザイン、写真、映画等)で、その可能性を開花させた。受容の側面に関して言えば、都市労働者を支持基盤とする当時のロシア共産党の実情ならびにネップ政策との関連で、モダニズムから派生したアヴァンギャルド芸術は当局からも支持された。1920年には、スヴォマスが改組され、ソ連の高等芸術学校ヴフテマスが設立される。1923年にウラジーミル・マヤコフスキーがレフ (ロシア・アヴァンギャルド)を結成。

衰退期

1929年の農業集団化にはじまる一連の上からの革命を契機とした、ヨシフ・スターリンの「文化革命」による政治的な抑圧(「フォルマリズム批判」)、難解さに起因する農民を中心とする一般大衆の社会的な支持の欠如、芸術運動そのものの内在的いきづまり等の諸要因の複合により、1930年代に終息した。

(出典元:Wikipedia)

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